愛宕山

 愛宕山は皇居と東京タワー間のちょうど真ん中位の場所に位置し、「これが山?」と言いたくなるような小さな山ですが、標高約26メートル。東京23区で一番高い山になるそうです。

 今のように周辺に高層ビルが建つ前は眺望がよく、徳川時代には江戸随一の展望を誇っていました。

 山頂には愛宕山神社とNHKの放送博物館があります。

 写真は愛宕山トンネルとNHK放送博物館、トンネルの横に愛宕山頂上に向かうエレベーターが設置されています。

 まずは、愛宕神社の石段を上って頂上に向かいます。この石段は講談「曲垣平九郎」の武勇伝で有名な出世の石段。

 徳川家光が増上寺参詣りを終えて愛宕山に通りかかった時。「誰か、馬で石段を登り梅の枝を持って来る者はいないか。」と愛宕山の梅を指差し家臣に命令しました。

 しかし、自信の無い家臣達は下を向いたまま。申し出るものがいません。次第に家光の機嫌が悪くなってきました。その時、石段を馬で登り始めた若者がおりました。若者はみごと石段をパカパカっと馬で駆け登り、家光公に梅を献上いたしました。

 この若者の名は「曲垣平九郎」、平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その逸話が全国に広まったのでした。

 一段の丈が高く傾斜のきつい石段です。平九郎の愛馬は、よほど訓練が行き届いていたのでしょう。この石段を見ると、本当に馬で登ったのかと疑いたくもなりますが、

 明治の時代に一人、大正、昭和にも一人ずつ馬による石段の駆け登りにチャレンジした人が出ています。いずれの人も成功し、その時の写真や絵を神社で見ることができます。

 江戸末期の大事件「桜田門外の変」を決行した水戸藩士が、ここ愛宕神社に集結し桜田門に向かいました。

 神社の庭には池もあります。境内は木がたくさん茂っているため、昼でもうす暗く湿っぽい場所になっています。

曲垣平九郎が枝を折った梅の木

今でもりっばに花を咲かせます。

愛宕山言えば放送の発祥地

 NHKの前進、東京放送局によるラジオ放送が計画されたとき、送信所の最適地として愛宕山が選ばれました。そして大正14年3月22日「J_O_A_K、ジェー、オーゥ、エーィ、ケーィ、こちらは東京放送局であります」。のコールサインの後、ラジオ放送が開始されました。1920年 ( 大正9 ) アメリカで世界最初のラジ放送が開始されてから、わずか5年後の出来事でした。

 放送開始時の受信機の数は1万5000台ほどでしたが、人々の関心が高く、2年後には500万台にのぼりました。

 以前は360度の眺望を誇った愛宕山でしたが、山より数倍背が高いビルに囲まれてしまった現在。「山と言われるのが恥ずかしい。」と、愛宕山が嘆いていました。

愛宕山から眺めた江戸時代の景色