八王子城址自然公園

 

 公園散歩と言うより、山登りと言った方が適切かも知れません。

また、八王子城址と言っても城が残っているわけでも無いので、最初に、この城の歴史について簡単に説明します。 

 八王子城は戦国時代、小田原城を中心に関東地方で勢力を振るった北条氏の支城の一つで、典型的な山城の形態を取っています。城主は北条氏康の三男「氏照」。

 氏照は以前八王子城から約8キロ東の滝山城に居住していたが、武田軍に攻められ落城寸前まで追い込まれた経緯があった。このため滝山城よりタフな城を求め八王子城を構築したのである。

 時代は豊臣秀吉の天下に移り、秀吉の軍門に下らなかった北条氏は秀吉に敵対する関係になってしまった。やがて秀吉の小田原攻めが始まり豊臣軍は小田原城を包囲したが、戦況はこう着状態になっていた。多勢の秀吉軍は小田原攻めと同時に、各地に分散していた北条氏の支城も攻め、次々と落城させていった。

 豊臣軍が八王子城を攻めた時は、城主の氏照以下家臣の殆どは小田原に駆けつけており不在であった。城に残っていた武将と農民、婦女子約1000人で城を守ろうとしたが豊臣軍の多勢に押され、わずか1日で落城したのであった。

 このとき氏照の本妻や家臣の妻、主な武将の首が討ち取られ、小田原に運ばれた。小田原城で篭城を続ける北条勢から見える場所に八王子城で討ち取った多くの首を並べたため、小田原城内は混乱した。これがきっかけで北条氏は開城を決意したのであった。

正面に見えるのは八王子城があった八王子城山

大通りから八王子城址まで約1キロの道のりは石畳になっています。

 八王子城は典型的な山城であり、多くの曲輪が設けられている要害地区(山岳部)と居館地区に分けることができます。最初に居館地区を紹介します。

 居館地区には、氏照が居住した御主殿があり、一まず川を渡って城の通用門に向かいます。

曳橋

 適が攻めてきたとき、橋の一部を曳いて渡れなくします。現在の橋は想像して作られたもので実際とは異なると思います。

 橋を渡ると虎口です。虎口とは城の入り口のことです。どの城も敵の進入を妨げる工夫がしてありますが、ここでは石垣で囲み進入路を狭くしています。

 橋を渡ってすぐ左、写真の石垣は築城当時のままの状態で残っているものです。その他の場所は近年これを模写して築かれたものです。

 岩の隙間にマムシが休んでいる時があるので、近寄る時は注意が必要です。

 地面に出っ張っている石は、大手門の基礎石。この石は当時の物

 冠木門

 戦国時代の雰囲気を出すために作られたもので、当時の門がこのような姿だったかは判りません。

 御主殿跡

 氏照が居住していた御殿の跡。御殿跡は発掘調査後、再び土で覆われました。広さはサッカーグランドが出来る程の広さです。

 草に覆われた本物の石垣

 空堀

人工の谷間を作って適の進入を防ぎます。

 次は、要害地区に入ります

 ここから先は標高400メートルを超える高さまで一気に登るので、殆ど登山に近い行程になります。

 山を登って最初に遭遇する曲輪の跡は「金子丸」。草木によってどこが曲輪の跡だったのか判断が付きませんでした。

 山の九合目を過ぎた所で神社が見えてきます。

 この神社は、八王子の地名の起源になった八王子神社です。今から約1100年前、華厳菩薩妙行とういお坊さんが、ここで修行をしていると牛頭天王と八人の王子が現れました。その因縁でこの場所に八王子権現を祀ったと言われています。

 松木曲輪案内の看板がなければ、ただの展望所としか思わない場所です。

 八王子神社の正面は高尾山の尾根につながるハイキングコースの道になっていますが、判りづらい道です。

神社の右角に位置する石段を登って本丸に向かいます。

足元が荒れていますね。一昔前の高尾山がこのようでした。

頂上の本丸跡です。

 想定外です。思っていたより面積が狭くて何も無い、雑木が茂り過ぎて視界が遮られていました。昔は見通しよい場所だったのでしょう。下山して事務所の案内人に聞いたところ、ここでは瓦が一枚も発掘されてないそうで、本丸は板葺き屋根の木造建築だったらしいです。

下ります。

 八王子城山は、全体が大木で覆われてしまい、見通しが悪いですが、9合目付近にただ一箇所視界が開けた場所があります。ここからは都内の景色が一望できます。

次は、心霊スポットで有名になった場所です。

御主殿の滝

 秀吉軍に追い詰められ、北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自決し次々と滝壷に身を投じたと言われています。川の水が三日三晩血に染まったことから、地元では落城した日の6月23日に八王子城址に近づきません。現在でも赤飯を炊いて供養をしているそうです。

 八王子城は北条氏への「見せしめ」として徹底的に殺戮が行われた場所であるため、テレビ番組や雑誌の記事ネタが切れると、八王子城址が心霊スポットとして取り上げられます。どうか犠牲になった霊魂の安息を乱す事の無いように願いたい。

 ここで、お化けが出るようなら東京大空襲の時、一夜で10万人以上の人が犠牲になった墨田区や江東区はお化けだらけのはずだがね。

アシダ曲輪へ

 アシダ曲輪は武将達が住んだ場所だが、現在では観音堂と石像が建立されています。不気味な石仏と荒地が異様な雰囲気を醸している場所です。こんな不気味な石仏が立っているから心霊スポットの候補に上がったのでしょう。「趣味の悪い場所だな。」と感じました。

八王子城址を後にして、氏照の墓に向かいます。

氏照の墓までの道は整備が行き届いていて石畳になっています。

 橋を渡った左側の暗い場所に階段があます。約50メートルぐらい階段を登ったところに氏照の墓があります。

最後は、明るく

 景信山から眺めた八王子城山。右から二つ目のこぶが本丸があった場所です。