「祐天寺」名前の響が良いので、何時か尋ねて見たいと思っていた寺です。空襲の難から逃れ江戸時代の建物が残っている寺です。

仁王門

 江戸時代に造られた仁王門。東大寺南大門の仁王さまの迫力に圧倒されてから、他の仁王が貧弱に見えてしまう体質になってしまいました。私はここ数十年南大門の仁王と浅草の仁王以外は意識的に見ないようにしています。そんな訳で祐天寺でも仁王を無視して門をくぐりました。

 境内の桜はりっぱな枝ぶりです。桜の季節の景観はすばらしいものだと思います。

 祐天寺は境内だけでなく、寺周辺の土地を広範囲に所有しています。周辺の住民は祐天寺に地代を払って住んでいます。この辺でマンションを買ってもローン返済だけでなく、平均5万円程度の地代も払うことになります。場所が良いので借地権はかなり高い金額で売ることができます。あまり関係ないか。

本堂は明治の火災で消失し再建されたものです。

 朝 6時ごろ訪れたため、太陽が低い上逆光の条件で撮影になりました。早朝ですが境内を通り抜ける人がお参りする姿を多くみました。

 本堂の賽銭箱には江戸・町火消しのまといの図柄が
描かれています。境内に火消ゆかりの碑が数箇所ありましたが、写真を撮る程の物ではなかったので。紹介しません。祐天寺は江戸の火消しと縁があるお寺のようです。

お稲荷さんと薬師堂

薬師堂も創建当時のものだそうです。

江戸時代にガラス戸があったのかな

 祐天寺は徳川家の一番寺、増上寺の住職になった祐天上人を祀った寺です。祐天上人は徳川綱吉の母桂昌院の覚えよく、将軍を操る桂昌院が指示した幕命によりメジャーな寺の住職を務めた後、伝通院と増上寺の住職を務めた坊さんです。祐天が桂昌院に認められたのは運が良かったのではなく、博識と多くの庶民に慕われた人柄によるものです。奈良や鎌倉の大仏修理にも知恵を出しています。

 祐天寺と道を隔てて祐天寺町という地名があります。祐天寺が所在する場所の地名は祐天寺町ではなく、中目黒町になります。何か不自然に感じるところです。昭和30年代に強行された、でたらめな地名見直しの影響かもしれません。

 祐天寺を訪ねる方は、東急東横線「祐天寺」駅より歩いて約10分。途中の道は路地が多い為、地元の人に尋ねながら行くのが良い。桜の時期に訪れるのが良いと思います。