晩香廬と青淵文庫

晩香廬(ばんこうろ)

 ある人物の喜寿を祝って清水建設がその人に贈った洋風の茶室です。中に入る事は出来ませんでしたが、窓から室内を覗くことが出来ます。大正6年に建てられた物とは思われない瑞々さが残るしっかりした造りです。

青淵文庫(せいえんぶんこ)

 次の建物はある人物が80歳になったお祝いと男爵から子爵に拝命されたお祝を兼ねて竜門社より寄贈された建物です。大正14年に建造された物で書庫として、接客の場として使用されていた建物です。

 

 勿体つけてある人物と言いましたが、その人は明治の実業家「渋沢栄一」です。

 渋沢栄一は明治、大正にかけて第一国立銀行(今のみずほ銀行 )の設立を始め、王子製紙、東京商工会議所、東京証券取引所、三井銀行、日本赤十字社、帝国ホテル、帝国劇場、日本郵船、石川島播磨重工、東京ガス、日本郵船、東京電力、札幌ビール、東京海上等、約500社に及ぶ会社を設立した人物です。

 渋沢は、現在の埼玉県深谷市に豪農の長男として生まれました。血気盛んな青年の時代は反幕府的な行動を取りましたが、運命のめぐり合わせか江戸時代最後の将軍、徳川慶喜に仕えることになりました。その時幕府の要人としてパリ万博の見学と欧州諸国の実情を見聞し、欧州の近代的な技術や経済についての見聞を広めて帰国しましたが、すでに徳川幕府は倒れ明治の時代になっていました。その後、初明治政府の要請で政府に仕えましたが、官僚制度に限界を感じ民間人として行動する事を決意しました。そして商工業の発展に力を注ぎ、先に掲げた多くの機関企業を創立、育成しました。

 

 彼は「論語」を企業経営の規範とし「道徳経済合一説」を唱え、多くの企業にかかわりながら、三菱や三井をはじめとする財閥のように、巨大な財産を得るようなことはしませんでした。

渋沢栄一の実業家としての理念

@

株式会社組織により、多くの人々の知恵と資金を集め道義に則した活発な企業活動を展開して、豊かな社会を実現する。

A

国境を越えて、自由で活発な市場経済を実現し、人類全体を豊かにする。

B

市場経済の中で、取り残されがちな弱者を支援する社会福祉や、社会の基盤としての大切な教育にも力を入れる。

 一ツ橋大学の創立、日本女子大学、東京女学館、日本女子高等商業学校等、女子学校設立にも力を注いでいます。そして70歳の半ば頃には、実業界から引退し社会公共事業や国際親善に力を注いでいます。東京養育院や中央盲人福祉協会の創立等、社会福祉事業にも力を入れた人物です。

  

東京の田園都市も渋沢栄一が田園都市計画を唱え造った街です。

(図面は渋沢史料館の展示より)

渋沢家の家訓と家法の一部 (渋沢史料館の展示より)

渋沢栄一史料館

 展示物は史料館の2階になっており、階段を上がると渋沢栄一の等身大の写真と氏の胸像が迎えてくれます。渋沢栄一の背景の絵は彼が行った事業の代表となる第一国立銀行の浮世絵です。

渋沢栄一史料館と旧渋沢邸は北区飛鳥山公園の一部になっています。

 

飛鳥山公園はJR京浜東北線王子駅の隣です。