大森貝塚

 考古学発祥の地大森貝塚。場所は品川区太井町

 大森貝塚の発見された場所は現在、遺跡庭園として整備されています。しかし縄文遺跡のモニュメントらしいものが少しあるだけで、遺跡が見れるわけではありませんでした。

 日本考古学の祖モース博士の像

  モース博士は東京大学の教員に雇われ来日しました。横浜から東京へ向かう列車の窓から貝塚を発見したのは有名な話ですね。

 彼は東京大学に赴任後、学生を引き連れ貝塚の発掘を行いました。このとき貝塚だけではなく人や動物の骨、縄文土器を発見したのです。日本の考古学の夜明けです。モース博士が「大森貝塚」を発見した当時の年齢は30代ですが、モース博士の晩年のイメージで作られたブロンズ像は見る人に間違った印象を与えるなと感じました。

歴史の教科書に出てくる有名な碑

 JR京浜東北線が迫っています。モース博士達が発掘した場所は太井町でしたが、モース博士の論文には発見した正確な場所には触れておらず、たぶん博士達が発掘作業で乗り降りした駅が大森駅だったので「大森貝塚」と命名したものだと思います。

 張子の貝塚

 貝殻は実際の物だと思います。東京では貝塚が沢山見つかっているからです。

縄文時代の案内板に興味深い説明がありました。

 縄文時代の海岸線は今より陸にかなり入り込んでいたようです。現在の品川駅付近などは海底になってしまいます。環境問題で温暖化が注目されていますが、今より温暖な気候を人類が経験していたことになります。化石燃料の使用が温暖化の原因にされていますが、真の原因は自然現象なのかも知れませんね。

トイレのデザインはセンスがよかった。

もう一つの大森貝塚碑

 大森貝塚遺跡庭園からJR大森駅に向かうところに、もう一つの大森貝塚の碑があります。それはNTTビル脇の路地を下った場所です。

 こちらの碑もJR京浜東北線が迫っている窮屈なところに建立されています。

 

  先ほどの「大森貝塚」の碑建立から約一年後、モース博士の教え子になる佐々木忠次郎博士が「大森貝墟」碑をこの地に建立しました。佐々木忠次郎博士は「大森貝塚」碑の発起人にもなっています。何か複雑な曰くがあったのでしょう。後年発見された公文書や近年の再発掘により「大森貝塚」の碑のある場所が貝塚跡だと証明されています。両碑共にいまだに国の史跡に指定されているのが面白く感じました。

 

 せっかく大森貝塚を訪れたのに、記念碑しかなかったので品川歴史観に寄ってみました。予想どうりモース博士コーナーがありましたが、発掘されたものはみな東京大学に保管されている事が判り、期待はずれでした。