東京都埋蔵文化セーターは多摩センターと歩道橋で繋がっています。

 歩道橋を渡り「東京都埋蔵文化財セーター」に向いますが、サンリオ・ピューロランドの建物が目に入ると、もう「東京都埋蔵文化財セーターの入り口になります。

 東京都埋蔵文化センターは歩道橋を渡って左側ですが、センターに入る前に同センター付属で縄文時代の森と住宅が復元されている「縄文の村」に寄ってみました。

 ちょうど、縄文住居の中で焚き火を実演していましたので、屋根から煙が出ている珍しい写真が撮れました。

 この古代住居の復元はサンリオ・ピューロランド付近の開発時に発掘された遺跡を復元させたもので、そこから縄文時代の土器や生活用品が沢山発見されました。

 「縄文の村」の森を出ると再び近代的な建物が目に入ってきます。古代の夢物語から現実に戻る瞬間です。

こちらが「東京都埋蔵物文化財センター」

 東京の町田や多摩地区は遺跡の宝庫で、多摩センターの開発時には多くの遺跡が発掘されました。この時発掘された土器や生活用品を整理し展示しているのが東京都埋蔵物文化センターですが、その他の地域や縄文時代以外の物も展示されています。

 縄文土器の展示が圧倒的に多いですが、他の時代の物も展示されています。

 こちらは江戸時代の「ごみ」。壊れた瀬戸物が地下に捨てられたものです。時間が経つと「ごみ」も貴重な資料に変わります。

 今回は縄文時代以外の展示物は省略して。

縄文時代の展示物を一づつゆっくり見て歩くことにしました。

 煮炊きをする土器は底が尖がっているのが特徴です。土器を土に差し込み周りを薪で囲んで煮炊きをするためです。

 飽きっぽい私ですが、似たような形の土器を何回見ても縄文土器だけは飽きないから不思議です。

 科学的な分析をすると縄文土器は世界で一番古い土器になるそうです。最初の土器が作られたのは約1万5000年前で、当時既に弓矢や丸太船も発明されていました。この時代日本が一番文明が進んでいたのかもしれません。しかしこれ以降縄文文化が衰退するまで著しい道具の進歩はありませんでしたが、自然と共存しながら1万年以上の長い間縄文文化が栄えました。1つ文化がこのように長期に渡って続いたのは世界的にも珍しく、縄文時代の特徴の一つになっています。

 縄文人が日本列島に住み着いたのは約3万年前頃とい説がありますが、土器が発明された1万5000年頃から村落を作り定住するようになっています。しかし稲作などの大規模な農耕は営みませんでした。縄文人は自然と共存していく道を選び、自然を開拓してまで生活の場を広げるような事はしませんでした。そのため食料の生産高は低く人口が急激に増加することはありませんでした。

 シンプルな弥生以降の土器と比べ大抵の縄文土器には色々な模様が施されており、機能美とは違った芸術性を感じます。

遺跡から出土した貝塚、ここでは実際に触らせてくれます。

生産に寄与しない道具「土偶」用途は不明です。

「土偶」の完全体はあまり出土されず、必ず体の一部が故意にへし折られたり、もぎ取られた物が殆んどだそうです。そして「土偶」は女性の体を捩っているのが殆どです。

石器

パンザイをする縄文人。なぜか3本指です。